あと1年生きると決心した25歳

2014年、大学4年生の時に難病(全身性エリテマトーデス)、大学留年、仕事クビ、現在再発中で二度目のパルス療法、絶望

SLEになるまでの経緯 第一歴史


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 プレドニン50ミリ7日目。あと3週間も50ミリか。。さっき、主治医がきて、パルス効いてよかったね( ˊ̱˂˃ˋ̱ )と言ってきました、、たしかにそうですが、、( ˊ̱˂˃ˋ̱ )。

 

 

 暇なのでSLEになった経緯でも綴ります。

 

 

 

 2011年、大学1年生の夏休みに友達と京都旅行に行きました。二泊三日で帰ってきたとき、微熱があったので疲れたのだと思い寝ていたのですが、2週間くらい微熱が続いたあと、40度になってしまいました。大学病院の総合内科で診てもらったのですが、EBウイルスと診断され、入院することになりました。

 

 総合内科はかなり隔離されたところにあり、面会も厳しかったです。EBウイルスだといわれてたので、点滴で抗生剤を入れてもらって、40度の熱は1ヶ月くらいで治りました。このとき、初マルクをしました。ちなみに、膠原病内科にも診てもらったのですが、絶対に違う!と判断をいただきました。結局、大学は11月くらいから行きました。

 

 この一連の出来事は、まぁなんか変なウイルスにかかっちゃったんだね、みたいな、軽い感じで終わりました。(今なら慣れてるけど40度1ヶ月は辛かった)

 

 

 それから普通に大学生活を送っていたのですが、なんかずっと不調でした。なんとなーく毎日だるくて、でも人の身体ってこんなもんなのかな?なんて思いながら、、。あとはディズニーランドとか人混みに行くと、必ずインフルエンザになったり、何かと感染することが少し気になりました。私、、免疫力弱くない?みたいな。

 

 

 

 2014年、大学4年生、4月ごろ、精神的に1番きつかった時期がありました。就活です。がむしゃらにやる典型的な就活生でした。このころから、少し顔が赤いことが気になっていました。おそらく、就活の説明会にいくときなど、やたらと紫外線に当たっていたからではないかと思います。

 

 5月になって、やっと行きたい会社に出会いました。2次面接当日、明らかに身体が怠かったので、熱があると確信しましたが、意識してしまうので熱を計らずに面接に臨みました。このとき、おそらく41度はあったと思います。面接がおわり、とりあえず、5月のスタバはチャンククッキーなので飲まなきゃ!とスタバに寄ってから家に帰りましたw。

 

 

 その日からです。41度の熱が3ヶ月続きました。まず、チャンククッキーを飲んで帰った時には死にそうになってました。すぐに、1年生の時にお世話になった総合内科に電話すると、今すぐきて!とのことで、、また総合内科に入院することになりました。大学4年生の5月〜6月、1番焦ってる時期に入院したことも辛かったです。

 

 

 総合内科で、またウイルスかな?なんてかんじで以前入院したときのうような対処をしてもらったのですが、、2ヶ月くらいかな、まっっったく点滴が効かず、最終的に意識不明になりました。

 

 

 このとき、総合内科に6人の男たちが現れました。なんと、、膠原病内科の医師たちだというのです。このとき、もしかしたら総合内科ではなく膠原病内科系なのではないか、、と疑惑があがっていました。私は意識がほぼなかったけど、いきなり膠原病内科と名乗る謎の医師たちが怖かったことは覚えてます。

 

 その6人は、41度の意識がやばい私にむかって話しました。「ステロイドというお薬を使うよ」「明日から膠原病内科に移動するよ」

 

 

 それから気がつくと、集中治療室にいました。たしか夜中の3時くらい。両親がいました。両親は、いますぐステロイドを入れないとだめだからと夜中に呼び出されたそうです。このとき、まだ完全に膠原病と、確定していなかったので、もしかしたらステロイドが合わなかったらショック死すると言われていました。両親は泣いていて、私は2ミリくらい意識がありました。

 

 

 当時、何が何だかわからなかったのですが、このときステロイドパルスをやりました。おそらく1週間以上やりました。パルスがだめなら、抗がん剤を使うと言われていました。(膠原病ではなくガンの可能性もあるとかいわれてましたので)

 

 

 意識が戻った時には、膠原病内科の集中治療室を出て、1人部屋に移動してたのですが、なんと、透明のカーテンに入っていました。ドラマとかでよく見るやつです。そして鼻には管が通っていました。ご飯が食べられないのでクビにも点滴がはいり(いまも首から点滴いれてますがw)、とにかくすごいことになっていました。ていうか、、怠くて動けん、、みたいな状況でした。

 

 

 そこから1ヶ月くらい、そういう生活が続きました。余談ですが、ここまで死にそうになったのに、私、トイレだけはお小水の管を拒否しましたw。すごくないですか?意識失ったときも、トイレだけは行ってたのですw。お小水の管って痛そうだから(;_;)

 

 

 このとき、ステロイドの副作用としては、とにかくとにかく怠い。そしてほんっっとうに苦しかったのが、食欲です。首から栄養を入れられているので絶食なのですが、ほんとうにお腹が空くんです。これが1番辛かったです。そして鬱にもなり、夜中に泣き叫ぶようになりました。安定剤を飲まされました。あまりにも辛くて、、初めて母が目の前で大泣きしてる姿を見ました。

 

 

 このときの6人の医師の中に、いまの主治医に長(ながと読みます)がいたのですが、長に恨みがあります。それは、長ってすごく脅すのです。ステロイドは食欲が湧くから〜とか、とにかくとにかくしつこくデメリットをいうんですよ。そのせいで、私は洗脳されて!なんであんなに不安を仰ぐのでしょうかね。いま長は学会のためワシントンにいってます。帰ってこなくていいよ、どうせ帰ってきても脅すか私に興味なんてないんだから、、。

 

 あ、話がそれました。

 

 

やっとパルスが効いてきて、、ステロイドを内服したのが7月くらいだったかな、、このとき、SLEという病気だよ、と病名がやっとわかりました。そして、年内には退院できないと宣告されました!!あまりにもあまりにも絶望でした、、、。

 

 

 このときは知らなかったのですが、私はSLEの血球貪食症候群という病気だったそうです。ちなみに今回も血球貪食症候群だそうです。なるほど、やっとわかってきましたって感じです。私、難病女は、膠原病SLEの血球貪食症候群という病気なわけです。

 

 

 そして、長い長い入院生活をして、35ミリになって退院しました。

 

 

 

 ここまでが、第一歴史です。そして今回、まさかの再発。